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熊野古道を歩く(第6回)

熊野古道を歩く(第6回)

 今回は東岸和田から和泉橋本迄です。

 東岸和田駅から熊野街道に出ると古い紡績工場跡があり、そこから新築の住宅街を抜けると道の池に出ます。その土手の入口に道しるべ地蔵が祀られています。碑には「すぐ かづらぎ 牛たき 大坂 左 きしはた」と記されていて、重要な街道であった事がうかがえます。
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 道の池の堤防を通り府道大阪和泉泉南線に出て、津田川、小渕川と二つの川を渡ると右側に麻生川王子があったとされていますが、現在は三和製作所の敷地になっていて、入口に立派な末広大神が祀られています。王子社は明治42年(1909)阿里莫(ありまか)神社に合祀されています。

 この地域に住んでいた麻生川一族は土着民で、物部氏から別れたと言われていて、阿里莫神社の祭神饒速日命(にぎはやひのみこと)は物部氏の祖神とされています。麻生川氏は麻を栽培していたとみられ、一方、この周辺には後発の渡来氏である秦氏一族が住んでいて、麻生川氏の麻を織って共存共栄していたものと思われます。
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 府道から左に曲がり熊野街道に入ると堂の池の堤防に出ます。泉南地方にはこのような大きな灌漑用池がたくさん作られています。
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 堂の池からしばらく歩くと半田一里塚(府史跡)があります。高さ4m周囲30mの地に樹木が植えられていて、熊野街道の一里塚の一つで最も良く原型を保っていると言われています。
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 そこから南へ歩いて中央小学校を過ぎて行くと、牛神さんに着きます。農業を営むこの地の人々は、七夕の頃に雨が降らないと困るので、7月7日の七夕祭りの日は、牽牛織女の天の川を見たい人とは反対に少しの雨でも降るように精進潔斎をして雨乞いのお祈りをしました。これを「七夕雨」と呼んでいました。当地では8月7日に牛を連れて参り、7月7日の水をかけると牛が丈夫になると言い伝えられ、牛神さんは水の神さんでもあります。
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 牛神さんから西方へ向かうと、柳茶屋跡近くの三叉路に可愛いハナタレ地蔵があります。道しるべと同時に子供を守るお地蔵さんとして大切に祀られています。
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 そこから宮池の横を通り近木川を渡ると積善寺城跡があります。掲示板によると「永禄元年(1558)、根来衆が岸和田の三好氏と戦った際、その砦として築かれた。その後、近木川沿いの畠中城や千石堀城などと共に、根来衆の出城として整備された。熊野街道に沿った近木川の南岸部に位置し、交通、戦略の要地であった。天正13年(1585)豊臣秀吉の根来攻めの祭には、三十間(約60m)四方の本丸に一部三重の濠をめぐらした強固な城内に、出原右京を大将として総勢9500名の根来衆が立てこもったといわれる。秀吉方の攻撃にも落城せず、最後は貝塚寺内の半斎了珍の仲介により、和談開城した」と記されています。
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 近木川に架かる福永橋を渡ると古道の面影を残す「長谷川の坂」があります。江戸末期から疳(かん)の医者として有名な長谷川屋敷があり、根来衆徒が立て籠もった積善寺城の北矢倉跡とも言われています。
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 地図「東岸和田~和泉橋本」
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 次回は和泉橋本から泉佐野迄です。

 (吉田 圭治)

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by srwpc | 2012-06-28 18:28 | 吉田 圭治 | Comments(0)