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熊野古道を歩く(第19回)

熊野古道を歩く(第19回)

 今回は印南から岩代迄です。

 印南港から熊野古道は海岸沿いに斑鳩王子へと向かいますが、その少し前の左山手側に東光寺があります。東光寺は施療院として、熊野へ向かう人々の救済活動を行ったらしく、境内薬師堂の梁には「医王堂」の木彫りの標札があります。ここの薬師堂に小栗判官が参篭して病を治したとの伝説があります。
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 小栗判官照手姫縁起(東光寺案内板より)
 『今から約570年昔、室町時代、常陸の国小栗城主小栗判官は讒言により鎌倉管領足利持氏に攻められ落城、相模の国藤沢に落ち延びた。その投宿先で悪人横山大善に計られ、毒酒を盛られ手足麻痺の身になってしまった。しかしこの時宴席に侍った遊女照手姫の計らいで、遊行寺の大空上人に助けられ一命をとり止める事が出来た。大空上人は照手姫に、「判官を箱車に乗せ熊野詣での上、湯治により全快を計られよ」と諭し告げるところがあった。

 とある一日、箱車は印南東光寺の山門にたどり着いた。判官は住職の懇な計らいで、薬師堂に籠り、二十一日間の平癒祈願の上、枇杷の湯治療をなした。満願の日、再び熊野湯峯温泉の霊効を告げられ、それよりかの地に至り百日の湯治療養をなし全快する。判官は全快後小栗家を再興し、謝恩の為湯の峯に一寺を建立して薬王山東光寺と命名した』


d0160878_1033949.jpg 東光寺から海岸沿いの熊野古道に出ると「斑鳩王子」に着きます。「富(とみの)王子」とも言い、光川にあったのを、明治41年、印南の八幡神社に合祀され、その後現在の地に分祀されました。この社が「斑鳩」と呼ばれるところから大和ゆかりの社だったと思われます。

 続く「切目王子」は熊野九十九王子の中でも格調の高い五躰王子の一つで、「五躰さん」と俗称されています。
「切目王子社由緒・二話」(神社掲示版より)
1.平治元年(1159)、平清盛はその子重盛らと共に熊野参詣の途中切目王子社まで来た時、都で源義朝の反乱を早馬で知らされ、一族は社前で評定を行ない直ちに引き換えし大勝に至った。

2.後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良(もりよし)親王が元弘の乱(1331)の時、ひそかに熊野へ落ち延びていく途中、切目王子社の神殿に籠っている時夢枕に熊野権現が現れ、これより南へ進むと賊軍が出るとのご神託があり、親王は急遽切目川をさかのぼり十津川に向かわれた。
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 JR切目駅から榎木峠へ向かって登っていくと「切目中山王子」があります。王子社の手前から梅林の向こうに切目湾が広がります。又王子社の向かい側には室町時代の作と言われる宝篋印塔があります。
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 切目中山王子社は「足の宮」とも呼ばれ、足腰を治してくれる神様として信仰されています。
「足の宮の由来」
昔一人の山伏が熊野詣での途中足が悪くなり、痛む足を引きずりながら井尻谷の入口迄たどり着いたがとうとうそこで命絶えたという。山伏の霊は里人らによってねんごろに弔われたが、不思議な事に埋葬した頭の上に大きな石が出て来た。人々はそのことに霊力を感じてその石を祭神として祀り、足腰を治してくれると信仰するようになった。

 土地の人からは「山伏さん」「やまっさん」とあがめられている。各地から、草鞋(わらじ)や草履(ぞうり)を持ってお参りする人が多い。又、供えている草履をいただいて帰る人もいる。(神社説明版より)
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 榎木峠から王子谷を下り海岸に向かう道は梅林が続き、かくれた観梅の名所でもあります。浜辺沿いの道路に出ると「徳本上人銘号碑」があります。

 徳本上人は宝暦8年(1758) 紀伊国日高に生まれ、文政元年(1818)江戸で没しました。徳本は信者と共に大きな木魚と伏せ鉦を叩き鳴らし、念仏を唱えれば必ず極楽往生できると説き、単純明快な判りやすさから民衆に広くひろがりました。諸国を巡り建てた碑(念仏塔)は千基にも及び、和歌山県内にも149基あります。

 徳本上人銘号碑の下部に記されている上人の「〇に十字を入れた花押」は、鬼の字を分解して書かれていて、『鬼くだく、心は丸く、田の内に、南無阿弥陀仏と浮かぶ月影』の歌が込められていると言われています。碑の前に立たれたらじっくりとご覧になってください。
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 海岸沿いの国道を行くと「有馬の皇子結び松記念碑」があります。斉明4年(658)、謀反の罪で捕えられ、紀の温湯(きのゆ、牟婁の温湯ともいう)に護送された有馬皇子が、自らの潔白を信じて岩代の神に対して、一抹の望みを託そうとして詠んだ歌碑があります。歌碑は今は古道沿いの光明寺に遷されています。
   磐代(いわしろ)の 浜松が枝(え)を 引き結び
               ま幸(さき)くあらば また還(かへ)り見む

 地図「印南~岩代」 (地図をクリックで拡大します) 
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 (吉田 圭治)

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Commented by 紙谷信子 at 2013-02-03 22:01 x
枇杷の薬効が伝えられていますが、そのころから既に知られていたんですね。山の中も海岸沿いも、それぞれ古に思いを馳せながらの古道歩きはいいでしょう。いつも詳細なお話ありがとうございます。
Commented by srwpc at 2013-02-09 09:35
紙谷さん、コメントありがとうございます。枇杷の葉を干して、お茶にして飲むと身体に良いと聞きますね。
by srwpc | 2013-02-02 11:57 | 吉田 圭治 | Comments(2)