「新老人の会」和歌山支部パソコンサークルのブログです 「つれもていこら」とはみんな一緒に行こうの紀州弁です


by srwpc

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トルコ旅行 (番外編)

★ トルコのおみやげは?

 この旅行に行くことを私が今お世話になっている理学療法士の若い先生に話すと、’お土産に何を頼もうかな~~。そうだ!現地の空気を持って帰ってきて・・・’ということ。どこかで缶詰になっている空気が売っていると聞いていたのですが、ただの空気がいいといわれるので、私はそのジョークにジョークでお返し。カッパドキアの空気をビニール袋に入れている証拠写真を撮りました。
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 これで私のトルコの旅はすべておしまいです。最後にイスタンブールの夜景でお別れします。長い間のお付き合い、有り難うございました。
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(紙谷 信子)
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by srwpc | 2010-09-23 08:16 | 紙谷 信子 | Comments(7)

トルコ旅行 ⑪

★ 癒しの国

 さて、毎日ついて回る食事のことです。どうも私はトルコでの食事に馴染めませんでした。ほとんど毎食前菜のパターンが決まっています。ニンジン、レタス、きゅうりなどのサラダと、しし唐に似たもの(もっと長くて、超辛いもの)など。
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 よく出るのがレンズ豆のスープです。鱒料理・シーフード・中華料理・ドルネケバブ(羊の肉を焼き、外側からスライスしたもの)やギョフテ(ビーフとラムのミンチを団子にしたもの)・・・など。残念ながらあまり興味が持てませんでした。
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 ただ、良かったのはスイカやメロン、ブドウなどのデザートがたっぷりあったことです。
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 最終日、オープンレストランでの食事中、まるでマリアッチのように5人のグループが歌ったり、楽器を奏でて盛り上がります(日本人が一人飛び入りしていました)。楽しいひと時でした。
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 江利チエミがかつて歌っていた「ウスクダラ」の曲もでました。ウスクダラ・・・イスタンブールのアジア側にその町があって、トルコ人なら誰でも知っている民謡だそうです。それは、一つの物語からその歌が生まれたそうです。ウスクダラには綺麗な娘たちがいました。男たちは小さくなって暮らしていました。それを聞いた遠くの男がはるばるやってきて女達を従えさせようと思ったが、逆に恋の虜になってしまったという。
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 トルコの人たちは、とにかく親しみやすい方々です。バスの窓に向かって、手を振ってくれる子供や男たちの何と微笑ましいことか!・・・癒しの国・・・でした。

(紙谷 信子)
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by srwpc | 2010-09-21 12:38 | 紙谷 信子 | Comments(0)

トルコ旅行 ⑩

★ イスタンブール (5)
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 トルコ共和国は3%がヨーロッパ、97%がアジアに属しているということでイスタンブールの地形を見るとよく分かります。ボスポラス海峡によって北(ヨーロッパ側)と南(アジア側)に分かれます。
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 また、ボスポラス海峡からイスタンブール市街に向かって金角湾と呼ばれる湾が入り込み、そこにかかっているガラタ橋によって新市街、旧市街とわかれています。旧市街には宮殿やモスク、観光スポットがたくさんあります。
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 正面遠くに見えるのは、新市街にあるガラタ塔。ここからはヨーロッパ側、アジア側全てが見渡せるそうです。残念ながら、行けませんでした。オスマン帝国時代には、倉庫、灯台、火の見櫓として使われていたが、現在はベリーダンスや民族舞踊のディナーショウで有名だそうです。
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 イスタンブールには、敵の侵入を防ぐためにしっかりとした城壁がつくられていました。場所によって海側の城壁・陸側の城壁・金角湾の城壁などと名付けられて、今もその城壁が多く残っているのが見られます。
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 ボスポラス海峡のクルーシングに行きました。幸いにも雨は上がりました。左にヨーロッパ側の街並み(宮殿やモスク、博物館など)、右にアジア側の街を見ながら進みます。一つ目のボスポラス大橋(1973年完成)をくぐり、第二の大橋が見えるところでUターンでした。この第二の大橋建設には日本の大手企業が加わった(1988年に完成)そうです。ドルマバフチェ宮殿は、現在迎賓館として使われているそうです。
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 途中豪華な客船が見えました。ああ、一度乗ってみたいなあぁ~
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(紙谷 信子)
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by srwpc | 2010-09-20 23:04 | 紙谷 信子 | Comments(2)

トルコ旅行 ⑨

★ イスタンブール (4)
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 アヤソフィアは皇帝ユスチアニスにより537年建築されて以来オスマン民族の征服までの900年余りは教会として、その後はモスクとして利用されたそうです。その時、十字架に代わってモハメッドの言行がアラビア文字でカリグラフィーとして掲げられました。

 教会として使っていた時のすばらしいモザイクによるキリストの像などは、偶像崇拝を禁じるイスラムの教えによって全て漆喰で塗りつぶされてしまったが、トルコ共和国初代大統領の命により、やっと漆喰がはがされ、現在は博物館として利用されるようになったということです。
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  モスクの突塔ミナレットは、お祈りの時間を知らせるものだと聞きましたが、さて、どのように知らせるのでしょうか??聞かずじまいでした。建物の中は大理石でできており、1枚の石を平面に切り開いて左右対称の模様が出るようにしていることなど、当時の技術は一体どんなものだったのかと驚きの連続です。
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(紙谷 信子)
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by srwpc | 2010-09-19 22:29 | 紙谷 信子 | Comments(0)

トルコ旅行 ⑧

★ イスタンブール (3)
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 地下宮殿はもともと貯水槽だったということです。森から引いていたのでは、戦争の折、敵によって水路が壊されたり、毒を入れられたりしたために532年、水道橋から引かれるようになったということです。
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 オスマン帝国時代には使われていなかったが、19世紀の中ごろ修復され、ローマ時代の円柱の石を336本も運び込み、まるで宮殿を思わせる豪華な造りになったので、地下宮殿と呼ばれるようになったそうです。幅70メートル長さ140メートルあり、一番奥にはメドゥーサ(ギリシャ神話に出てくる人物)の頭の彫刻をした石柱が、横に、逆さまに(高さを調節するために)と使われています。
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 現在は観光用に歩道が整備され、薄暗いがライトアップもされている。とても異様な、しかし神秘的な空間です。ただ、心痛く感じたのは、貯水槽に住んでいる魚たちの目が見えなくなってしまっているということです。
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(紙谷 信子)
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by srwpc | 2010-09-18 10:10 | 紙谷 信子 | Comments(2)

トルコ旅行 ⑦

★ イスタンブール (2)

 6日目はまずペシュクタシュ海軍博物館に行き、エルトゥールル号の模型船を見ました。その他色々な軍艦やら海軍の制服の変遷など、内部はもちろん撮影禁止です。
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 続いてブルーモスクです。これは、オスマン帝国14代のアフメット1世によって建てられ1616年に完成したもの。建築にあたって、王は黄金(アルトゥン)のミナレット(突塔)を作るように命じたが、それでは高くつくので6(アルトゥ)と聞き違えたことにして6本のミナレットを造ったらしいです。モスクでは普通4本だが唯一6本はこのブルーモスクだということです。
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 中は何百ものクリスタルランプで飾られ、床を覆うシルクの絨毯。この日は朝から雨になっていたのでか(あるいはいつものことなのか)、靴を脱ぎビニール袋に入れて入らなければなりませんでした。人、人、ひとで絨毯の模様などは分からないほどでしたが、その感触には何とも言えない柔らかさと歴史を感じさせるものが伝わってくるようでした。壁とドームは青と緑を基調に使っているのでブルーモスクとよばれているそうです。
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 ブルーモスクやアヤソフィアの近くには広場があり、当時は主に競馬場として使用されていたという。その中に、イスタンブールで最も古い記念碑オベリスク(方尖塔)があり、これは紀元前15世紀にエジプトの神殿にあったものを西暦390年にこの地に運んだそうです。高さは20メートルで、皇帝の偉業を称える象形文字が刻まれています。オベリスクの右に見えているミナレット(突塔)はブルーモスクのものです。

(紙谷 信子)
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by srwpc | 2010-09-18 07:44 | 紙谷 信子 | Comments(2)

トルコ旅行 ⑥

★ イスタンブール (1)
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 5日目の午後はまず、トプカプ(大砲の門の意)宮殿です。約400年間、オスマン帝国が支配していた時代に使われた宮殿で、中にはその時代の陶器、ガラス工芸品、衣装展示室、肖像画、宝物殿(ルビー・サファイア・ダイア・トルコ石などをちりばめたもの)や謁見の間など・・・見る物は全て豪華絢爛。その時代の人々を自分なりにイメージはするが・・・疲れてしまいそうでした。
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 グランドバザールへ買い物に。真ん中に1本大通りがあり、その他縦横に26本の道路があるということで、ガイドさんは迷子になっては・・・との心配から、出口の写真をカメラに収めてから出発すればいい、ととにかく店、店、店。300軒がヒシメイテいます。400年以上前までは、馬小屋として使っていたとのことです。その後バザールになって400年。

 私たちは4、5人のグループになり値段の交渉のやり取りをたっぷり楽しみながら無事帰りつくことができました。日本の皇室の方も立ち寄ったという宝石店で、Yさんはガイドのヤッちゃんの口利きもありデッカイ買い物をしていました。私は見ているだけでしたが。バザールの中の写真がなくて、とても残念。みんな写真のことなど忘れていました。

(紙谷 信子)
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by srwpc | 2010-09-17 00:26 | 紙谷 信子 | Comments(0)

トルコ旅行 ⑤

★ イスタンブールへ

 トルコの北は黒海に、東はグルジア・アルメニア・イランに、南はイラク・シリアと地中海に、そして東はエーゲ海に接しています。メルシンは地中海に面した都市で、1年の内300日は晴れで、雨や曇りの日は70日もないといわれています。だからか、シャワー用のドラムが多いんですね。また、北は雨や曇りが多く暗い空が海に黒く映るから‘黒海’と名付けられたとのガイドさんの説明です。やはりイスタンブールでは、私の気になるドラムは見つかりませんでした。
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 ガイドさんは日本語を独学で覚え、日本では4,5カ月勉強しただけだというのに、とても流暢な話し方でした。名前はヤシャル。‘ヤッちゃん’でも、‘やーさん’でもいいよといって笑い、皆からとても親しまれていました。トルコ語と日本語の文法はとてもよく似ているらしいです。赤ちゃんの蒙古班、靴を脱いで入る、結納金、桐の箱、などもあり、‘猿も木から落ちる’や‘一石二鳥’などはトルコ語にもそのままあるそうです。
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 さて、メルシンの北、内陸部のカッパドキアから東にバスで1時間半、カイセリの飛行場からイスタンブールに向かいました。(飛行1時間半)。
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(紙谷 信子)
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by srwpc | 2010-09-16 11:25 | 紙谷 信子 | Comments(0)

トルコ旅行 ④

★ 世界遺産・カッパドキア
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 4日目は、カッパドキア方面へ4時間のバスツアーです。カッパドキアは‘美しい馬のいるところ’という意味だそうです。6つの都市全体がこの名前で呼ばれているので奇岩と共にとても広大な景色が広がります。この地方は北海道と似ていて乾燥し、じゃがいも、かぼちゃなどを生産し、年に一度秋の収穫のみで男たちは春まで出稼ぎに行き、女達は編み物や縫物をして売っているそうです。
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d0160878_21483059.jpg BC4世紀ごろより火山灰が堆積されて出来上がった山が浸食されていったようで、その形の中にはっきりと地層の違いが分かるものがあります。自分で住む洞窟は2人で2日あればできるというほど柔らかい凝灰岩で、3000個以上の洞窟があるそうです。

 その中の一つカイマクルの地下都市は7~11世紀には6500人が住んでいたそうです。何カ月分もの食料品や水の貯蔵、ワイン造りの場所、教会、空気孔などがありました。ここは地下33メートルあり、見学できるのは4階まで。それ以外は壊れてしまっているそうです。人々は4世紀ごろから住み始め、キリスト教が迫害されるにつれ信者たちが集まって密かに暮らしていたということです。
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 ドイツ人の調査によると、ヒッタイト時代の碑文が見つかっていることからBC700年以上も前には地下1階ぐらいは掘られ、その後キリスト教徒によって深く掘られたとのことです。地下都市は200個以上あり、100万人が収容できるといわれています。キリスト教の終末思想から生き残るための大規模シェルターと考えられていたのかとの説があるそうです。

 ギョレメの野外博物館(博物館といっても勿論凝灰岩でできたもの)は300個位の教会群でそのうち1割の30個に壁画が残っているそうです。カソリック教とギリシャ正教では十字架の形が違うこと・・・初めて知りました。残念ながら写真に撮れませんでした。
(カッパドキアについて詳しくはここを参照してください。)

(紙谷 信子)
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by srwpc | 2010-09-12 09:12 | 紙谷 信子 | Comments(4)

トルコ旅行 ③

★ メルシン市での式典と交流

 3日目には、エルトゥールル号遺品里帰り展オープニング式典がありました。遺品の中には破損した船の部品、小さな釘、コイン、大なべや日本からのプレゼントの陶器の欠片などもありました。120年もの間海中に眠っていたものばかり・・・。蒐集には非常な困難と忍耐のあったことが窺われます。
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 メルシン市には地中海に面した公園が延々5キロ続いており、初代大統領の名前を冠して‘アタチュルク公園’とよばれています。そしてとても綺麗に整備されています。この日は串本通りと名付けられた通りを浴衣や法被、甚平姿で練り歩き、現地の熊野娘さんも出現し、とても賑やかに歓迎されました。
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 エルトゥールル号慰霊式典に参加、その後メルシン市主催の夕食会があり約500人の立食パーティは混雑を極めました。出席していた自衛隊員や現地の方々との交流も楽しいひと時でした。食後はさらに文化交流があり、トルコの民族舞踊や日本のリラ芸術学院の学生たちの舞踊などを見ましたが、結構ハードなスケジュールに‘老体に鞭打って・・・’でした。
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(紙谷 信子)
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by srwpc | 2010-09-12 00:24 | 紙谷 信子 | Comments(3)