「新老人の会」和歌山支部パソコンサークルのブログです 「つれもていこら」とはみんな一緒に行こうの紀州弁です


by srwpc

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教えて!これ何?

 近所を散歩していましたら空き地にこんな実を見つけました。触ってみると少し固めですがふわふわしています。これは何でしょうか?どなたか教えて!。
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追記:
 ギャラリーの方から「フウセントウワタ」と教えてもらいました。こんなこと
 ができるのはインターネットのおかげですね。感謝です。そのやりとりは
 「Comments」をご覧ください。


(岩崎 好宏)

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by srwpc | 2012-12-16 22:47 | 岩崎 好宏 | Comments(3)

撮影会 (串本・白浜)

 12月13日 写真クラブの皆さんと撮影会に行きました。

 串本の橋杭岩はいつも満々と水を蓄えている風景ばかり見ていた私には驚きでした。今回は潮が引き、こんなに遠くまで地面が岩盤である事にびっくりしました。
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 白浜千畳敷の夕日です。
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 今、白浜でイルミネーションが行われています。
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 (松島冨紀子)

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by srwpc | 2012-12-15 22:02 | 松島 冨紀子 | Comments(7)

忘年昼食会

 12月12日パソコンサークルの日、今日は教室近くのホテルのレストランで忘年昼食会を開催しました。
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 美味しい料理を食べながらおしゃべりに花が咲きました。
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 デザートもクリスマスバージョンでおしゃれでした。
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(岩崎 好宏)

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by srwpc | 2012-12-13 08:19 | 岩崎 好宏 | Comments(0)
熊野古道を歩く(第16回)

 今回は湯浅から紀伊内原迄です。

  このコースは紀州路の中でも一、二の難コースで、藤原定家も『御幸記』で「シシノセ山をよじ登る」と記してる険しい道になります。湯浅を過ぎると湯浅氏の菩提寺であった勝楽寺があり、その境内に紀伊国屋文左衛門の生誕の地として紀文碑があります。
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 そこから国道42号線へ出ると「久米崎王子跡」を左手にさらに広川沿いに歩き、阪和自動車道のガードをくぐると広川インター内に「津兼王子跡」(井関王子跡とも言う)があります。


 
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  津兼王子跡からしばらく山裾の狭い路地を歩くと、かって、馬や旅人が休憩した養生場跡や旅籠跡が続きます。
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 河瀬橋を渡ると民家の左奥に「河瀬(ごのせ)王子」と刻まれた石碑が建っています。白川上皇の院政時代に出来た王子社といわれ、正面には社殿と思われる石段や大きな磐座を思わせる巨石があります。
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d0160878_8551297.jpg 河瀬王子から続く集落は、昭和の始めまで松屋、竹屋、枡屋等の屋号を持つ茶屋や旅籠を営んでいましたが、鉄道の開通と共に今は農家に変わっています。旅人は鹿ヶ瀬(ししがせ)峠を前にしてここで休養しましたが、集落にある延命山地蔵寺にある「汗かき地蔵」は、鹿ヶ瀬峠を登る人たちを汗をかきながら後から押してくれる、と伝わっています。 鹿ヶ瀬峠の登り口に「東の馬留(うまどめ)王子跡」があります。坂の登り口で草履をはき、馬を留めたといわれる地名です。そこからは急なのぼりになって来ます。
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d0160878_9335375.jpg そこからから約2.5キロ程鬱蒼と茂った険しい曲がりくねった坂道を登り平坦な道に出ると「法華の壇」があります。
  『昔、一叡と言う法華経の僧が熊野参詣の途中野宿したところ、真夜中に法華経を読経する声がどこからともなく聞こえて来ました。夜が明けて辺りを探したが人影は見当たらず草むらに骸骨が横たわり口だけが動いていました。骸骨の僧は円善と言い、生涯6万部のお経を唱える途中に亡くなったので、骸骨になった今もお経を唱えているのです、と言いました』
  後にこの僧を弔う為に供養塔が建てられました。
 鹿ヶ瀬峠は山頂が鹿の背のように丸い事から名づけられたとありますが、『紀伊名所図会』では峠に2軒の茶屋が賑わった様子が描かれています。
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 鹿ヶ瀬峠(大峠)から小峠を経て下り坂にかかると、全長503mの現存する熊野古道の中で最長の石畳道が続き、楠や椎の木が茂る中を歩くと金魚茶屋跡に着きます。
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d0160878_9492016.jpg  金魚茶屋はかっては熊野参詣者達の休憩所であり、茶屋の主人が金魚を川に流して旅人を慰めたといいます。
  更に下ると「沓掛王子跡」を経て原谷の集落に入ります。有名な黒竹の産地で黒竹民芸組合があります。この付近からは道もなだらかになりますが、逆に熊野参詣を終えた旅人は帰りに峠を越える前に「西の馬留王子跡」で休憩をしました。 
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d0160878_9571873.jpg  「内の畑王子」では別名「槌王子」とも呼ばれ、上皇始め随従の人達が木を切り身分に応じて槌を造り榊の枝に付けて奉納しました。
  「高家(たいえ)王子」は旧高家荘五カ村の総社であったことからその名がついたと言われていますが、現在は「内原王子神社」として立派な拝殿が建てられています。王子神社の前には「愛子(まなご)の淵」と呼ばれる淵があります。
  『江戸時代、この近くの豪族、秦政助の一子亀千代は生まれつき目が見えず、なげき、円応寺(現在廃寺)の観音様に願かけしたが、その効もなく、前途を悲しみ淵に身投げした。政助は悲しみ、村人も慰める言葉も無かった。ところが、不思議と亀千代の体は温味が戻りやがて口を開き、「今、地獄へ落ちるところ観音様のお救いで助かった」と言った。一同はその神秘に呆然とし、喜んだ。この事があってから、この淵を「愛子の淵」と呼ぶようになった。』 (「日高町教育委員会」の説明板より)
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 地図「湯浅~紀伊内原」(地図をクリックで拡大します)
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 (吉田 圭治)

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by srwpc | 2012-12-09 10:28 | 吉田 圭治 | Comments(4)