「新老人の会」和歌山支部パソコンサークルのブログです 「つれもていこら」とはみんな一緒に行こうの紀州弁です


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熊野古道を歩く(第20回)

 今回は岩代から南部迄です。

 今回は岩代から南部迄の「梅の熊野古道」と言われる、梅林あり、浜辺の道あり、峠の古道ありの、2月頃には絶景のコースです。

 
 「岩代王子」は九十九王子の中でも最も古くから鎮座していました。かっての鎮座地はJR線路付近にありましたが明治41年の神社合祀令により、西岩代神社に合祀されました。その後災いが続いた為、御神体をひそかに旧社に戻 したと言わ れています。

 「御幸記」によると、拝殿の羽目板に御幸毎に参詣者の名前と参詣回数を連署しておく習慣があり、定家は番匠(大工)に命じて羽目板を外してカンナをかけさせ、それに書いています。この習慣は那智大社にも 見られます。
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  『平家物語』岩代浜の別れ
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、有田地方には湯浅宗光率いる湯浅一族が一大勢力を誇っていました。当初は平家の侍大将でしが、平清盛死後落ち目になった平氏を見限り、文覚上人の仲介で源氏方につきました。

そんなある日、屋島の戦いに敗れ、岩代浜を熊野へ向かっていた平惟盛とその家来に出会いました。それを見た宗光は自ら下馬し一礼した後何事も無かったかのように通り過ぎましたが、この時宗光は背を向けながらも目に涙を浮かべ、かっての主君を断腸の思いで見送っていました。
「紀州語り部の旅」(和歌山県観光交流課・和歌山県観光連盟著)より抜粋

  岩代王子から海岸沿いに少し歩いた後、左手の梅畑の丘に登ります。頂上から眺める梅林越しの岩代の浜の景色は素晴らしく、写生に来ている人が沢山います。
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  峠を下って海岸に出ると千里浜が広がり、その先に「千里王子」・「千里観音」があります。千里の浜は「枕草子」に「千里の浜、ひろうおもいやられる」と書かれている景勝の地で、浜に打ち上げられた貝を奉納する風習がありました。花山法王が熊野参詣の途中病に倒れ、海岸の石を枕にして休まれたが、その時浜に立ち上る煙を見て心細くなり、詠まれた歌碑があります。
    旅の空 夜半の煙と 登りなば 海女の藻汐火 炊くとかや見む
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 千里王子の隣にある千里観音は本地仏如意輪観音と馬頭観音を祀っています。小栗判官が湯の峯温泉から海上を船で帰途の途中、嵐に会い遭難しましたが、一頭の白馬が現れ判官を助けたという伝承があります。
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 千里王子から梅林を通って南部峠に着くと石の地蔵尊が祀られています。石造りであったことから骨折に効くとされ、峠には茶店もありました。
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 峠を下って南部川を渡ると三鍋王子に出ます。三鍋の地名は南部湾に浮かぶ鹿島が三つの鍋を伏せた形に似ている事がその名の由来だといわれます。旧三鍋王子の社殿は現在、鹿島神社の本殿として伝わっています。
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  地図「岩代~南部」(地図をクリックで拡大します)
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 (吉田 圭治)

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by srwpc | 2013-02-26 21:01 | 吉田 圭治 | Comments(4)

春の白浜

 先日、2月20日 白浜に行き、皆様にお世話になり、ありがとうございました。写真は「梅観音公園の梅の花」、また白浜の「波打つ千畳敷き」、満開の「アロエの花」など、たくさん撮りました。いい思い出になりました。
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(松島 冨紀子)
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by srwpc | 2013-02-25 18:06 | 松島 冨紀子 | Comments(3)

防災の体験

 2月17日、県立体育館で私たちの団体、「(親子での)防災の体験学習」を行いました。新聞紙でスリッパを作り、割れたガラスに見立てた卵のからの上を歩く体験、また担架を作り「ぬいぐるみ」を怪我人にみたてて運ぶ体験。その他「大声代会」・「防災紙芝居」・「バケツリレー」など楽しく体験しました。
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(松島 冨紀子)

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by srwpc | 2013-02-17 22:03 | 松島 冨紀子 | Comments(0)
 2月8日 和歌山市公民館フェスティバル作品展が、市民会館展示会場で開催されました。野崎地区公民館も皆様のご協力を頂き所狭しと展示させて頂いています。
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 この展示会は2月10日 午後4時まで。尚2月10日、12時より各地区公民館実践発表会が市民会館小ホールで実施(午後4時)されます。当公民館は「大正琴」の発表いたします。

(松島冨紀子)

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by srwpc | 2013-02-08 17:40 | 松島 冨紀子 | Comments(4)

読売新聞に紹介された

 お手玉の普及に頑張っている森勝代さんが、2月3日の読売新聞・和歌山版のコラム「まちかど」で紹介されました。その切抜きを掲載しましたので、ご覧になってください。
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(岩崎 好宏)

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by srwpc | 2013-02-06 18:50 | 岩崎 好宏 | Comments(0)

紀州海南雛めぐり

雛めぐり

  第3回紀州海南雛祭りが(2月1日から3月3日まで)開催中です。今日はお天気もよく吟行を兼ねて友達と出かけました。家々に飾られている雛人形を見ながら川端通りから街中を海南駅へと、そして駅前の一番街もゆっくり歩き回りました。

  最初の川端通りでは、江戸時代に建てられたという(現在は紀伊風土記の丘に移築されている)柳川邸のご主人が暖かく迎えてくださいました。どの家もまるでお遍路さんを接待するかのように接してくださいます。海南の街全体に暖かい空気が漂っています。最後の一番街では、偶然にもこの雛祭りを企画立案された方にもお会いすることができ、充実した楽しい一日でした。もう一度巡ってみたいと思いながら帰ってまいりました。 

   JR海南駅構内に飾られている雛人形は圧巻です。
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 (紙谷 信子)

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by srwpc | 2013-02-03 22:42 | 紙谷 信子 | Comments(7)
 ふきのとう・梅一輪も寒さに負けず頑張っています。
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 仲間入りしました。ブロッコリー・ 花壇のサザンカです。
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 もう春ですね。年を重ねるとコンナニも、春が嬉しいんですね。

 (松島 冨紀子)

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by srwpc | 2013-02-02 22:36 | 松島 冨紀子 | Comments(2)

雪の護摩壇山

 先日(31日)写真クラブで護摩壇山に行きました。
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 高野山の大門
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 高野山は雪が溶けていましたが、さすが護摩壇山。ザクザクと雪の中を歩きました。昔を(小学校時代)思い出し懐かしいひと時を堪能しました。

 (松島 冨紀子)

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by srwpc | 2013-02-02 21:54 | 松島 冨紀子 | Comments(2)
熊野古道を歩く(第19回)

 今回は印南から岩代迄です。

 印南港から熊野古道は海岸沿いに斑鳩王子へと向かいますが、その少し前の左山手側に東光寺があります。東光寺は施療院として、熊野へ向かう人々の救済活動を行ったらしく、境内薬師堂の梁には「医王堂」の木彫りの標札があります。ここの薬師堂に小栗判官が参篭して病を治したとの伝説があります。
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 小栗判官照手姫縁起(東光寺案内板より)
 『今から約570年昔、室町時代、常陸の国小栗城主小栗判官は讒言により鎌倉管領足利持氏に攻められ落城、相模の国藤沢に落ち延びた。その投宿先で悪人横山大善に計られ、毒酒を盛られ手足麻痺の身になってしまった。しかしこの時宴席に侍った遊女照手姫の計らいで、遊行寺の大空上人に助けられ一命をとり止める事が出来た。大空上人は照手姫に、「判官を箱車に乗せ熊野詣での上、湯治により全快を計られよ」と諭し告げるところがあった。

 とある一日、箱車は印南東光寺の山門にたどり着いた。判官は住職の懇な計らいで、薬師堂に籠り、二十一日間の平癒祈願の上、枇杷の湯治療をなした。満願の日、再び熊野湯峯温泉の霊効を告げられ、それよりかの地に至り百日の湯治療養をなし全快する。判官は全快後小栗家を再興し、謝恩の為湯の峯に一寺を建立して薬王山東光寺と命名した』


d0160878_1033949.jpg 東光寺から海岸沿いの熊野古道に出ると「斑鳩王子」に着きます。「富(とみの)王子」とも言い、光川にあったのを、明治41年、印南の八幡神社に合祀され、その後現在の地に分祀されました。この社が「斑鳩」と呼ばれるところから大和ゆかりの社だったと思われます。

 続く「切目王子」は熊野九十九王子の中でも格調の高い五躰王子の一つで、「五躰さん」と俗称されています。
「切目王子社由緒・二話」(神社掲示版より)
1.平治元年(1159)、平清盛はその子重盛らと共に熊野参詣の途中切目王子社まで来た時、都で源義朝の反乱を早馬で知らされ、一族は社前で評定を行ない直ちに引き換えし大勝に至った。

2.後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良(もりよし)親王が元弘の乱(1331)の時、ひそかに熊野へ落ち延びていく途中、切目王子社の神殿に籠っている時夢枕に熊野権現が現れ、これより南へ進むと賊軍が出るとのご神託があり、親王は急遽切目川をさかのぼり十津川に向かわれた。
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 JR切目駅から榎木峠へ向かって登っていくと「切目中山王子」があります。王子社の手前から梅林の向こうに切目湾が広がります。又王子社の向かい側には室町時代の作と言われる宝篋印塔があります。
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 切目中山王子社は「足の宮」とも呼ばれ、足腰を治してくれる神様として信仰されています。
「足の宮の由来」
昔一人の山伏が熊野詣での途中足が悪くなり、痛む足を引きずりながら井尻谷の入口迄たどり着いたがとうとうそこで命絶えたという。山伏の霊は里人らによってねんごろに弔われたが、不思議な事に埋葬した頭の上に大きな石が出て来た。人々はそのことに霊力を感じてその石を祭神として祀り、足腰を治してくれると信仰するようになった。

 土地の人からは「山伏さん」「やまっさん」とあがめられている。各地から、草鞋(わらじ)や草履(ぞうり)を持ってお参りする人が多い。又、供えている草履をいただいて帰る人もいる。(神社説明版より)
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 榎木峠から王子谷を下り海岸に向かう道は梅林が続き、かくれた観梅の名所でもあります。浜辺沿いの道路に出ると「徳本上人銘号碑」があります。

 徳本上人は宝暦8年(1758) 紀伊国日高に生まれ、文政元年(1818)江戸で没しました。徳本は信者と共に大きな木魚と伏せ鉦を叩き鳴らし、念仏を唱えれば必ず極楽往生できると説き、単純明快な判りやすさから民衆に広くひろがりました。諸国を巡り建てた碑(念仏塔)は千基にも及び、和歌山県内にも149基あります。

 徳本上人銘号碑の下部に記されている上人の「〇に十字を入れた花押」は、鬼の字を分解して書かれていて、『鬼くだく、心は丸く、田の内に、南無阿弥陀仏と浮かぶ月影』の歌が込められていると言われています。碑の前に立たれたらじっくりとご覧になってください。
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 海岸沿いの国道を行くと「有馬の皇子結び松記念碑」があります。斉明4年(658)、謀反の罪で捕えられ、紀の温湯(きのゆ、牟婁の温湯ともいう)に護送された有馬皇子が、自らの潔白を信じて岩代の神に対して、一抹の望みを託そうとして詠んだ歌碑があります。歌碑は今は古道沿いの光明寺に遷されています。
   磐代(いわしろ)の 浜松が枝(え)を 引き結び
               ま幸(さき)くあらば また還(かへ)り見む

 地図「印南~岩代」 (地図をクリックで拡大します) 
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 (吉田 圭治)

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by srwpc | 2013-02-02 11:57 | 吉田 圭治 | Comments(2)