「新老人の会」和歌山支部パソコンサークルのブログです 「つれもていこら」とはみんな一緒に行こうの紀州弁です


by srwpc

<   2013年 04月 ( 13 )   > この月の画像一覧

春の海

潮風に吹かれて


 加太国民休暇村の下、昨年と同じところでヒジキやテングサ、めかぶを採ってきました。県外の方たちの車が多く見られました。一般的には3月ごろに採るのが一番美味しいんだそうです。しかしその頃は寒いからね。

 帰りは坂道を登るのであまりたくさん採りませんでした。昨年は欲張ってとても大変な思いをしたので、学習しましたよ~。

 地の島を前に遠くには淡路島。いつ見ても海の広さと匂いに癒されます。
d0160878_20171724.jpg
 岩には面白い線の模様や窪みに海水を残して、また貝をたくさんくっつけたまま潮の残した世界はなんとも言えない楽しさ!
d0160878_2018888.jpg
d0160878_20195554.jpg
 あちこちにウミウシがいて、角を出して餌を探したり、ときには丸くなって休んでいたり・・・。
d0160878_20211457.jpg
d0160878_2022347.jpg
d0160878_20233849.jpg
 (紙谷 信子) 

[PR]
by srwpc | 2013-04-28 20:32 | 紙谷 信子 | Comments(11)

庭の花と野草

 
桜がすんで・・・

 庭の花や野草が華やかな季節となりました。
d0160878_21133742.jpg
d0160878_21144090.jpg
d0160878_21151847.jpg
d0160878_21265185.jpg
 出かけたくなる季節になりましたよ~。
d0160878_21234495.jpg
d0160878_21242371.jpg
d0160878_21253117.jpg
 (紙谷 信子)

[PR]
by srwpc | 2013-04-21 21:33 | 紙谷 信子 | Comments(6)
熊野古道を歩く(第23回)

 今回は稲葉根王子から滝尻王子迄です。富田川(旧名岩田川)沿いの古道で桜の時期には桜並木が綺麗です。

 「稲葉根王子」から岩田川沿いに1キロほど歩くと市ノ瀬橋にかかります。岩田川は中世、禊の川として知られ、下界の穢れを祓う重要な垢離場とされていました。

 住心院僧正実意の『熊野詣日記』には、女院がこの岩田川を渡渉する時、手を引くことは恐れ多いので、白布をつなぎ合わせ、その結び目につかまって、布の左右を従駕の者が捧持した、という記事が見えますが、岩田川の渡りは、皆等しく歩いて渡ったようです。
 岩田川 わたる心の ふかければ 神も哀れと おもはざらねや
(花山院・『続拾遺』)(「熊野への道」吉田昌生著より)

 市ノ瀬橋を渡ると前方に「興禅寺」(通称だるま寺)の達磨坐像が見えてきます。この像は第2次世界大戦の激戦地であった南方の国々の砂と釈迦生誕地のインドの土を混ぜて、慰霊と平和記念の為に先代住職の吉田啓堂氏によって建立されました。
d0160878_1535217.jpg
 再度、川の方角に下ってくると「一ノ瀬王子址」があります。「一ノ瀬」はもともと岩田川の渡りの「一ノ瀬、二ノ瀬、三ノ瀬」から来た地名と思われますが、旧村名の「市ノ瀬」から「市ノ瀬王子」とも表記されています。

 この川筋には南北朝の初めに山本氏が地頭として土着し、貴族たちが熊野詣でをする際に一ノ瀬王子から山中の護衛に当たっていましたが、天正13年(1585)、秀吉の紀州攻めで滅亡したとされています。王子の下手台地に居館跡があり、対岸の竜松山には城跡が残っています。
d0160878_15373420.jpg

d0160878_1541680.jpg 岩田川沿いに上り加茂橋を渡って2キロほど歩くと鮎川新橋のたもとに「鮎川王子碑」があります。『紀伊続風土記』に「鮎川は合川の義にして小名愛賀川の流 岩田川と合流するより起これり」とあります。王子は明治7年に対岸の住吉神社に合祀されました。
 鮎川新橋を渡ると住吉神社に出ます。住吉神社には坂本冬美が植えたしだれ梅の木があります。
d0160878_15425953.jpg
ここからは岩田川に沿って歩きます。左下の岩田川の清流が大変きれいですが、かなり細い崖道なので注意を要します。
d0160878_10181976.jpg
 道中には道祖神と庚申塚があり、旅人を守ってくれています。
d0160878_15475887.jpg
 更に上流に上って吊り橋の北郡(ほくそぎ)橋を渡りしばらく行くと清姫の墓があります。
d0160878_15501235.jpg
d0160878_1550119.jpg
 川に沿って上流へ約2キロ歩くと滝尻王子に着きます。
 地図「稲葉根王子~滝尻王子」(地図をクリックで拡大します)
d0160878_15534038.jpg
 (吉田 圭治)

[PR]
by srwpc | 2013-04-21 16:26 | 吉田 圭治 | Comments(3)

日野原先生のメッセージ

 「新老人の会」会長の日野原重明先生がフェイスブックで毎日皆さんへメッセージを発信しています。そのメッセージ文字が写真と共に掲載されます。今週の写真として私が撮影したボケの花が採用されています。
d0160878_13133666.jpg
 このようにフェイスブックだと先生のメッセージを毎日見ることができます。あなたもフェイスブックをはじめませんか。

(岩崎 好宏)
[PR]
by srwpc | 2013-04-21 11:54 | 岩崎 好宏 | Comments(2)

石仏巡り

二回目のノルディックウォーク


 京都と奈良県境へ石仏巡りに行きました。岩船寺から浄瑠璃寺まで。その間、山の中や田畑の傍らから忽然と大きな岩に彫刻された仏像が現れるのです。不思議な感じがします。

 大門阿弥陀磨崖仏・・これは道路より300mも向こうの山に佇んでいました。
d0160878_23131318.jpg
 やぶの中三尊(右より十一面観音菩薩立像・地蔵菩薩立像・阿弥陀如来坐像)
d0160878_2317426.jpg
 からす(唐臼)の壺二尊(阿弥陀如来坐像・地蔵菩薩立像)
d0160878_23183850.jpg
 浄瑠璃寺は、四件の国宝と八件の重要文化財に指定されたものがあるということです。すこし寂れた感じがしますが、自然のゆったりした中にあって、とても癒される空間でした。
d0160878_23192865.jpg
d0160878_23204192.jpg
 
d0160878_23233775.jpg
 もっとたくさんの石仏に会ったのですが写真にできませんでした。

 このウォークは泉南のノルディックウォークの会の計画に乗っかって私たちのグループ9人が参加しました。全部で55人でしたが、平均年齢が若く、私たちはフウフウ言いながらついていきました。やはり若さには勝てないと実感して帰ってまいりました。

 昼食のところでこんな素敵な紫陽花に出会いました。名前はわかりません。
d0160878_23261741.jpg
(紙谷 信子)

[PR]
by srwpc | 2013-04-19 23:30 | 紙谷 信子 | Comments(6)

新緑の紀州路

 自宅をAM7:30出発、帰宅PM6:00のスケジュールでドライブをしました。
高速は有田インター迄、美山村経由で龍神、中辺路、本宮、熊野川町と最終は新宮迄、片道160㌔の行程です。途中の山や川の景色を掲載します。
d0160878_1112683.jpg
d0160878_111214100.jpg
d0160878_1112354.jpg
(画像はクリックで拡大表示します)
d0160878_11124595.jpg
(川井 修)

[PR]
by srwpc | 2013-04-15 11:13 | 川井 修 | Comments(4)

美しく咲きました。

 草むらの中で咲いていた花々。今日は全部草刈りをしました。

 ドウダンツツジ
d0160878_22584232.jpg
d0160878_231529.jpg
 ライラックの花  (真冬に咲いていた木)
d0160878_2335955.jpg
 ミヤマキリシマ ツツジ
d0160878_2362927.jpg
(松島冨紀子)

[PR]
by srwpc | 2013-04-13 23:08 | 松島 冨紀子 | Comments(1)

美しい花弁

 泉佐野市の泉の森の桜並木。花弁が水面に漂い風とともに変化して楽しませてくれました。
d0160878_2331313.jpg
d0160878_23322378.jpg
d0160878_2333851.jpg
d0160878_23335629.jpg
(松島 冨紀子)

[PR]
by srwpc | 2013-04-09 23:35 | 松島 冨紀子 | Comments(1)
熊野古道を歩く(第22回)

 今回は紀伊田辺から稲葉根王子迄です。

 田辺から熊野本宮大社に向かって中辺路に入って行く事からこの地域は口熊野(熊野の入口)と呼ばれています。

d0160878_9373274.jpg 「秋津王子」一帯は、左右会津川に挟まれた氾濫原の低地で、永い年月の間の水没や水害などにより、現在では秋津王子の旧地や古道を辿ることは難しくなっています。

 江戸時代に入ってからも柳原から落合、更に安井という地へ移されました。その後秋津王子が祀られていたと考えられる安井宮が明治3年に豊秋津神社に合祀されました。(田辺市教育委員会、案内板より抜粋)。

 秋津野は雲の多い所、雲のできやすい所として知られ、万葉集に秋津と出ていて、雲を読んでいるところを指しました。熊野詣での旅人が亡くなって焼いた煙がいつもたなびいていたからとも言われています。

 岩倉の 小野ゆ秋津に 立ち渡る 雲にしあれや 時をし待たむ
(岩倉の小野から秋津にかけて立ち渡る雲のように、あなたは時の来るのをじっと待っているのですか、私は待っていられません)

 
 秋津王子跡から左会津川の近くを歩いて行くと「須佐神社」に出ます。須佐神社は、神武天皇が即位された時に祭祀されたという万呂三ヶ村の鎮守で、豊臣秀吉の紀州平定の時に焼き討ちを免れました。

 安永4年(1775)の記録に「獅子舞献し申す」とあって、11月23日には須佐神社の神事として「万呂の獅子舞」が奉ぜられます。特に寝獅子の際、天狗お多福が獅子を起こす所作は微妙であり、お多福が祠で作った陽物を右肩に担ぎ中腰で腰を振りまわる踊りは他には余り例を見ない五穀豊年を祈る神事です。(田辺市教育委員会掲示板より)
d0160878_957233.jpg
d0160878_1013393.jpg 
 左会津川にかかる熊野橋の北約50mの梅畑の中に「万呂王子跡」の碑があります。明治10年須佐神社に合祀されるまでは森があり王子の境内となっていました。

 万呂王子跡から東方に畑道を行くと三栖廃寺跡に着きます。「三栖廃寺」は奈良時代前期(白鳳時代・7世紀前半)の創建とされ、塔跡の位置等から法隆寺式伽藍配置で、寺域は方1町で三重塔が建っていたと推定されています。

 白鳳時代の寺院跡としては近畿地方で最も南であり、古代牟婁郡牟婁郷の中心地における郡寺とも考えられています。
d0160878_10102346.jpg
d0160878_10104969.jpg
d0160878_10151572.jpg 定家の『御幸記』には「ミス山王子」と記されています。室町時代ごろからは三栖から潮見峠越えの別ルートの道が開かれ、「三栖王子」は通らなくなって来ました。d0160878_10205584.jpg

 三栖王子跡から新岡坂トンネルを抜けると八上王子神社があります。

 「八上王子」は現八上神社境内に王子社としての面影を残していますが、潮見峠越えルートが開かれてからは八上王子も通らなくなりました。 

 西行が熊野詣での途中八上王子に立ち寄り

 待ちきつる 八上の桜 咲にけり 荒くおろすな 三栖の山風

という歌を詠み、社殿に書き付けたことで知られる王子社です。
d0160878_10265033.jpg
 「田中神社」は天然記念物で、南方熊楠命名の「岡藤(オカフジ)」があります。そばには縄文時代の大賀ハスが栽培されています。
d0160878_10283126.jpg
 八上王子から田中神社を経て稲葉根トンネルを抜けると「稲葉根王子」があります。ここは五体王子の一つで、田植の神、稲持神を祀っています。御行列はここで休憩し法楽の法要を行ないました。

 瀧尻(熊野の入口)より流れてくる水(神の水)に最初に出会う場所で、そこで水垢離をすると今までの罪がすべて消えるとされました。
d0160878_10331874.jpg
 地図「紀伊田辺~稲葉根王子」(地図をクリックで拡大します)
d0160878_10561872.jpg
 (吉田 圭治)

[PR]
by srwpc | 2013-04-07 11:17 | 吉田 圭治 | Comments(2)

園児と交流しました

 3月25日に私たち「和歌山お手玉の会・ななこ会」は栄谷保育児とお手玉遊びなどで交流してきました。その様子が3月31日の和歌山新報に掲載されましたので紹介します。
d0160878_22153548.jpg
 (森 勝代)
[PR]
by srwpc | 2013-04-05 22:17 | 森 勝代 | Comments(3)