「新老人の会」和歌山支部パソコンサークルのブログです 「つれもていこら」とはみんな一緒に行こうの紀州弁です


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熊野古道を歩く(第25回)

 今回は牛馬童子から小広王子迄です。

 国道311号線の道の駅「熊野古道館」から山道に入ると箸折峠まで坂道が続きます。
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 箸折峠では花山院をモデルにしたとされる牛馬童子像が出迎えてくれます。

 冷泉天皇が退位した後、叔父の藤原兼家の推挙により幼い花山天皇が即位しましたが、兼家に孫が誕生してから状況が一変しました。妃を亡くし悲嘆にくれる花山天皇に一緒に仏門に入ろうと誘い、天皇が剃髪を済ませると自身は用事が出来たと言って寺を脱け出してしまいました。

 騙されたことを知った花山天皇は嘆き悲しみ、帰る場所を失った為熊野古道を始めとする巡礼の旅に出ました。 花山院が箸折峠で昼食をとられた時、箸が無かったので萱の小枝を折って箸にしたので箸折、その萱の軸が赤く染まったのを見て「血か露か」と尋ねられたので近露の地名の由来になったとの話があります。
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 箸折れ峠から下ってくると近露の集落が見渡せます。熊野街道の宿場として栄えたところで、江戸時代には10軒近くの宿屋がありました。
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 箸折峠を下ると日置川と民家のある集落に出ます。橋を渡った左側のこんもりとした森の中に「近露王子社址」があります。

 王子社は明治末年までは自然林に覆われ「上宮」と呼ばれていましたが、神社合祀令に基づく王子社廃止と森林伐採で今は元の姿はありません。この時、南方熊楠がこの地域の古代から続く森林の伐採に猛反対しました。近露王子周辺は伐採されましたが、継桜王子周辺では大木の杉(野中の一方杉)が残されました。

 この王子は各地の王子の中でも特に重要とされる準五体王子の一つで、王子社前の日置川でも参詣の前に川の水で身を清める「禊」を行いました。
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 民家の間の古道を行くと左手の小高い丘に「野長瀬一族の墓」があります。野長瀬一族は南北朝時代に栄えた豪族で、元弘の変以降楠木正成を助け、又、南都から熊野に向かった護良親王の危急を救った事が「太平記」にも記されています。終始南朝方の味方をしました。
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 しばらく登り坂を行くと右手に「乙女の寝顔」と称される優美な姿を見せる山が見えます。(写真ではすこしわかりにくいかも)
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d0160878_1839562.jpg 楠山坂を登り大畑を過ぎると左手山の中に「比曾原王子」の碑があります。享保8年紀州藩が緑泥片岩の碑を建てました。

 しばらく行くと「継桜王子」に着きます。奥州の藤原秀衡夫妻が熊野詣をした際、滝尻の岩屋(乳岩)に預けてきた赤子の無事を祈って杖にしてきた桜の木をそばの木にさして行きました。大きく成長した木は秀衡桜と言われ、当初は「継桜王子」の前にありましたが、現在は三代目となり、その木も2011年秋に倒れてしまいました。
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 往時の秀衡桜と倒れた秀衡桜
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 継桜王子のすぐそばに有名な「とがの木茶屋」があります。
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d0160878_1849499.jpg 続いて先に進むと中川王子があります。中右記によると、この近くに仲野河仮所という仮泊所があったことが記されています。王子社跡も今は荒廃していますが、周囲には年代を思わせる大木の森があります。

 ここから約30分歩くと小広王子に着きます。
 
 地図「近露王子~小広王子」(地図をクリックで拡大します)
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 (吉田 圭治)

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by srwpc | 2013-05-25 19:45 | 吉田 圭治 | Comments(5)

オープンガーデン

バラに堪能


 先日下井坂のシャングリラガーデンに行きました。とても広い敷地にバラをはじめ色んな種類の花や木が育てられていて、楽しんできました。

 もう20年以上かけて作り上げたものだというイギリス風庭園ですが、来ている人ごとに「これを管理していくのは大変でしょうね・・・」と。
お花の一端をご紹介いたします。皆さんも是非出かけてみてください。6月中旬までだと思います。
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  はまなす
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  キウイが可憐に蕾と花を付けていました。
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 (紙谷 信子)

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by srwpc | 2013-05-20 10:12 | 紙谷 信子 | Comments(3)
熊野古道を歩く(第24回)

 今回は瀧尻王子から大坂本王子迄で、中辺路の熊野古道の雰囲気を残す代表的なコースです。

 急流(滝)が合流する地点(尻)にあるので滝尻と言われ、そこにある「滝尻王子」は熊野古道の中でも最も重要とされる五躰王子の一つです。熊野三山の神域はここが入口となり、参詣者は王子社に沿って流れる冨田川(旧岩田川)で水垢離をし、御歌会や御神楽を開きました。

 この王子社は800年前の面影を残している貴重な建造物で、奥州の藤原秀衡が、参詣途中ここで子が生まれた事を感謝して奉納したと伝わる古い剣が残っています。
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 滝尻王子からいきなり急な坂道が「不寝(ねず)王子」まで続きます。
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 滝尻の裏山中腹に「乳岩」と呼ばれる巨岩があります。藤原秀衡と妻が子供を授かったお礼に熊野詣でをしましたが、この地まで来た時妻が出産しました。赤子を連れて熊野詣では出来ないので、岩屋に赤子を授けて参拝を済ませて帰ってくると、赤子は岩から滴り落ちる乳を飲み、狼に守られてすくすくと育っていました。この民話は熊野の神々の霊力を物語るものとして語り伝えられています。
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d0160878_1584057.jpg 乳岩から少し登ると「不寝(ねず)王子跡」に到着します。中世には不寝王子の名は無く、江戸時代に入って、元禄年間の『紀南郷導記』にネジ王子と呼ばれる小社の跡があると記されています。一説にはこの王子は上皇たちが滝尻付近で宿泊した時、警護する者たちがここで寝ずの番をした所だとも言われています。
 不寝王子から約1.1キロさらに登っていくと飯盛山展望台に到着します。ここから前方には果無山脈が開け、又、眼下には冨田川沿いの栗栖川集落が見渡せます。
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 展望台から尾根伝いにテレビ塔に向かって歩くと針地蔵尊があります。更に進み民家が見えてくるとシイタケの栽培している所があり、そこからほどなくして「高原熊野神社」に着きます。
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 高原熊野神社の社殿は熊野古道では最も古い神社建造物で、春日造りの社殿は室町時代の様式で県指定文化財となっています。神社に伝わる懸仏(かけぼとけ)の裏面には応永10年(1403)の銘があり、若王子を本宮から勧請したと刻まれています。境内には樹齢千年とも言われる楠の大木が繁り鬱蒼とした雰囲気を醸し出しています。
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 高原熊野神社のすぐそばに「高原霧の里休憩所」があります。ここからは展望が良く、又、昼食をとるのに良い場所です。休憩所からは悪四郎山目指して尾根伝いに登り坂が続きます。約2キロ歩くと「大門王子」に着きます。

 この王子社は鎌倉時代の中期以降の成立と推定されています。古い社殿は江戸初期に失われ、その跡に紀州藩主徳川頼宣の遺命により建立されたと言われる石碑が立っています。本宮の下品下生の鳥居が建っていたので大門と称したと伝わっています。
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d0160878_15223826.jpg 大門王子から1.5キロ、左側に果無山脈を望みながら緩やかな上りを行くと「十丈王子」に着きます。この王子社は1109年の「中右記」にもすでに登場していることから、比較的早く建てられたものと思われます。江戸時代には茶店も数件あり、旅人は悪四郎山への登りを前にここで一息を入れました。
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 熊野古道には飢えや病と闘いながら詣でる人が多く、行き倒れになる人も多くいました。こうした人たちの供養塔が古道のあちこちに見られます。十丈王子から400メートルほど登ると、小判を口にくわえて行き倒れた人を祀ったと伝わる「小判地蔵」があります。

 十丈峠を過ぎると視界が広がり、すがすがしい雰囲気の山道になり、少し歩くと「上多和茶屋跡」に着きます。三体月が見える場所の一つと言われています。三体月とは熊野地方に古くから伝わる伝承です。

 その昔、熊野三山巡りの修験道者が高尾山の頂に来た時、この三体月(月が同時に三つ見える)を拝んで大変な法力を得たと言う話が広まり、その後村人たちもその神秘な現象を拝んで霊力にあやかろうと、旧暦の11月23日の夜、三体月を見る風習が広まりました。毎年「三体月を見る会」が行なわれ、夜中の11時過ぎに山に登り、ホラ貝や雑煮をいただきながら月の出るのをじっと待ちます。実際に見られるのはほとんど期待出来ないようです。

 ここから逢坂峠へは急な下り坂となります。「大坂本王子」は建仁御幸記にでており、この王子は逢坂峠の坂下にあります。県道脇の杉木立の中に壇の跡ががあり、そこにある石造りの笠塔婆は鎌倉時代後期のもので、滝尻王子や大門王子などにも同様の物があります。
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 地図「滝尻王子~大坂本王子」(地図をクリックで拡大します)
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 (吉田 圭治)

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by srwpc | 2013-05-12 16:07 | 吉田 圭治 | Comments(5)

山野草展

 連休中に黒江公民館にて山野草展がありましたので紹介します。出品者は公民館の園芸教室と教室を卒業した人達で総勢30数名になります。それぞれ丹精込め育てた山野草です。
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(川井 修)

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by srwpc | 2013-05-06 07:34 | 川井 修 | Comments(3)