「新老人の会」和歌山支部パソコンサークルのブログです 「つれもていこら」とはみんな一緒に行こうの紀州弁です


by srwpc

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ササユリの里・深野へ

 6月19日、私たちパソコンサークルのメンバー24名で「にほんの里100選」に選ばれた奈良県宇陀市の深野へ行ってきました。今年の3月に、支部のバスツワーでこの地を訪れ、みんなすっかり気に入ったのでした。深野はササユリの保護活動をしていると聞き、その時期に再度訪れたいと話していました。
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 地元に住む写真家・小出圭吾さんにササユリとデジカメ撮影についてレッスンを受ける
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 その後、新谷邸で昼食をいただく、丹精込めて炊き上げてくれた赤飯の美味しかったこと
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 食事後、地元に住む音楽家浜田礼子さんのピアノ演奏でみんなで「ふるさと」など合唱した
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 その後、雨の中ササユリの撮影をする
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 雨に煙る里山風景と地元の皆さんの温かい人情に触れ、心安らぐ一日でした。深野の皆さん、本当にありがとうございました。

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by srwpc | 2013-06-29 22:30 | 岩崎 好宏 | Comments(2)

百合の海

大阪舞洲のゆり園


 200万輪と言われている百合の海・・これがまた大阪湾の海にと続いているんですからすばらしい!!
 先週訪れた奈良県深野の里のササユリの可憐さを考えると、全く対照的です。山里にひっそり守られながら咲くササユリの健気さが更に心に沁みてきました。

深野のササユリ
 みんなで小出先生のお話に聞き入っているとき、どういう訳かササユリまでが先生の方に耳を傾けているようですね。
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舞洲の百合
 白・黄・ピンク・赤・とそれぞれに「私が一番よ!」の感じで咲き競っていました。
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 平日だというのに見物客で溢れていました。この10倍位の広さ一面にあるんですよ~。見疲れるほどに。幸い曇り空だったので助かりました。7月7日まで。入園料千円ですが、JAFに割引券があります。
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 (紙谷 信子)
 
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by srwpc | 2013-06-25 18:02 | 紙谷 信子 | Comments(1)

北海道の旅

 憧れていたトワイライトエクスプレスに札幌まで乗車、大雪山麓を旅してきました。滞在中は天気に恵まれず、雄大な風景はみられませんでしたが・・・。

 旭山動物園のペンギン
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 旭岳の残雪に上を歩く
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 水芭蕉とエドリュウキンカ
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 然別湖でカヌーで遊ぶ
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 美瑛のお花畑 今年は春が遅くラベンダーもまだ咲いていませんでした。
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by srwpc | 2013-06-24 14:52 | 田井 恭子 | Comments(3)
熊野古道を歩く(第27回)

 今回は熊野古道最終の発心門王子から熊野本宮大社迄です。中辺路で最も人気のある代表的なコースで、距離も短く楽なコースです。

 「発心門王子」はかってここに四つの門がありました。南は修業門、西は菩提門、北は涅槃門、東は発心門といいました(『熊野歩行記』)。発心門とは仏の道に帰依する心を発する入口と言う意味で、本宮の惣門であり、神仏習合の名残を残します。発心門王子は九十九王子の中でも格別の五躰王子の一つに数えられ、ここからいよいよ本宮大社の聖地に入っていきます。
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 発心門王子から約30分ほど平坦な道を歩くと、今は廃屋となった小学校の校舎が残り、その手前に水呑王子あります。内水飲、水飲、内湯などの表記がありますが、現在の王子跡には「水呑王子」の碑が建っています。
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 水呑王子から鬱蒼とした木々の間の古道を歩いて行くと、やがて視界が開けて前方に雄大な果無山脈が見渡せます。 
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 「伏拝王子」に伝わる故事に和泉式部の話があり、供養塔が建っています。和泉式部が熊野詣での道中、ここまで来た時に月の障りとなり、この身では大社に詣でる事はかなわぬと悲しみ、大鳥居脇の桜の下で歌を詠みました。
  晴れやらぬ 身の浮雲の たなびきて 月のさわりと なるぞかなしき
すると夜中に熊野の神が現れご託宣がありました。
  本よりも 塵にまじはる 神なれば 月のさはりも 何かくるしき
(もともと熊野の神は塵に混じって生まれた神だから、何も遠慮はいらない。どうぞお参り下さい)
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 伏拝みの地名は、熊野の神から詣でて良いとのご託宣があり、式部が喜びのあまりにここから遥かに伏し拝んだ故事に由来すると言われています。

 すぐそばに、NHKの朝ドラで有名になった「山中木の葉」の生家と「木の葉」が幼少の頃木登りをして遊んだ場所があります。
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d0160878_14165687.jpg 伏拝王子から坂道を下ると三軒茶屋へ、更に九鬼の関所を過ぎ団地の中を下って行くと祓戸王子に着きます。ここで最後の潔斎をし身づくろい整えて熊野本宮大社に詣でました。

 元々「熊野本宮大社」は熊野川の中州「大斎原(おおゆのはら)」にありましたが、明治22年の大洪水で上四社の社殿を残してことごとく流失倒壊しました。明治24年、下祓所のあった現在の丘上に社地を遷しました。

 熊野は神武天皇の東征伝説や、イザナミノミコトの葬送伝承、又、捨身、火定(焼身)、補陀落渡海などの風習が伝わり、古くから死と転生、超現実(まぼろし)と現実(うつせみ)との交錯する幽玄界とみなされていました。すなわち、この世とあの世との境であり、あの世への入口と考えられていました。(「美しい日本の歩きたくなる道500選」より)。

 熊野本宮大社の主祭神は家津御子大神(けつみこのおおかみ)で本地仏は阿弥陀如来、又、熊野速玉大社の主祭神は速玉之男神(はやたまのおのかみ)・本地仏は薬師如来、熊野那智大社の主祭神は夫須美大神(ふすみおおかみ)・本地仏は千手観音として習合されました。いわゆる熊野三所権現で、権現の「権」は「仮の」で、仏が仮に神の姿で「現」れたものといいます。
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 地図「発心門王子~熊野本宮大社」(地図をクリックで拡大します)
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 (吉田 圭治)

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by srwpc | 2013-06-17 14:33 | 吉田 圭治 | Comments(7)
熊野古道を歩く(第26回)

 今回は小広王子から発心門王子迄です。

 このコースはアップダウンが多く厳しい中級のコースですが、中辺路の熊野古道の中では最も古道の雰囲気が感じられる良いコースです。

 「小広王子」は旧道の小広峠にありましたが、現在は近野神社に合祀され、碑だけが建てられています。小広峠は「吼比狼(こびろう)峠」とも言われ、千匹の狼が旅人を魔物から守ったと言う伝説があります。
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 この付近は明治32年に県道(現旧国道)が開通するまでは、昼間も暗く不気味な峠であったと言われています。峠を下った所にかって熊瀬川集落があり、小広より早くから人が住み熊瀬川王子がありました。ただ、集落は明治22年の夏、この地方を襲った豪雨で壊滅的な被害を受け、全住民が移住した為今は墓だけが残っています。
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 墓地を抜けてつづら折りの急な坂道を登ると草鞋峠に着きます。この付近は「蛭降り峠百八丁」と呼ばれ、山ひるに悩まされた所だと言われます。峠からの下りが女坂で林道まで下ります。
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 林道から栃の川を渡って「岩神王子」迄の急な坂道を男坂と言い、女坂と二つ合わせて女夫(めおと)坂といい、麓の茶屋を媒人(仲人)茶屋と呼びました。ただ、H23年秋の集中豪雨で古道は寸断され、現在は岩神峠を越える迂回路になっています。
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d0160878_10581850.jpg 岩神峠へは栃の川に新設された丸太橋を渡り、急な坂道を登ると谷を挟み前方に山々の視界が開け、岩神王子方向を望めます。山びこのこだまする絶景の地です。岩神峠からは再び急な坂を下り蛇形地蔵に出ます。
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 蛇形地蔵は元々岩神峠にあって、熊野を往来する人々が峠で「ダル」と言う妖怪にとりつかれて倒れる遭難が相ついだため、寛政年間に地蔵尊を建てて旅人を守ったと言います。明治22年の大水害の時には、岩神峠から不思議な音が聞こえ、村民は危険を感じて脱出し、難を免れたので感謝の意を込めて地蔵尊をここへお迎えし祀ったと言います。
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 湯川川を渡ると湯川王子があります。湯川氏の祖は元甲斐国の武田氏で、武田三郎忠長が熊野へ流されこの地に住んだので湯川性を名乗りました。忠長は奥熊野に出没した山賊を退治した功績が認められ、以来、口熊野、日高へ進出しました。

 道湯川の集落は後鳥羽上皇の御所もあった所で、江戸時代には人家も多く宿や茶屋もありましたが、明治の水害で廃村となってしまいました。
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 ここから又急な坂道を登ると三越峠に至ります。ここには現在立派な休憩所が出来ています。三越峠は西牟婁と東牟婁の境でここから先を奥熊野と言います。昔は関所もあり、茶屋もあったと言います。
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 峠から下る途中、音無川の源流になる滝を見ながら下り、一見、上高地の梓川の雰囲気のある(水がもう少し多ければ)川沿いの道を進むと船玉神社に着きます。神社は熊野権現(スサノオノミコト)が玉の滝で修業した際に船を考案した場所とされ、熊野船が置かれています。
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d0160878_11125443.jpg ここから発心門王子へは再び急な坂を登りますが、その手前に「猪鼻王子」跡があります。

 最後の急な坂を約15分程登ると「発心門王子」に着きます。

 地図「小広王子~発心門王子」(地図をクリックで拡大します)
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 (吉田 圭治)

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by srwpc | 2013-06-09 11:56 | 吉田 圭治 | Comments(2)