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熊野古道を歩く(第2回)

熊野古道を歩く(第2回)


 今回は天王寺から境王子跡までです。近鉄百貨店阿倍野店の東側の道を少し南下すると、天王寺予備校の近くのビルの谷間に阿倍寺跡があります。

 大化改新後政治の中心にいた阿倍氏が難波宮遷都の時、阿倍寺も移ったと考えられ、当時は「阿倍寺千軒坊」と言われる広大な伽藍を有していました。四天王寺と同様、主要な堂塔が南北に並ぶ「四天王寺式伽藍配置」でしたが、阿倍氏の衰退と共に四天王寺に併合されました。
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 更に南下して阪神高速14号線の高架をくぐると熊野街道の細い道に入ります。天王寺付近は戦禍が比較的少なく、古い通りが残っており(建物は変わってますが)、泉南地方まで熊野街道の多くはこの幅の道筋が続いています。
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 この道を通りあべの筋に一旦出て、松虫の交差点を右に曲がると謡曲「松虫」で有名な松虫塚があります。
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 松虫街道から再度熊野街道に入り南下すると阿倍王子神社に着きます。大阪府下で王子社の建物が残っているのはここだけで、立派な建物が建っていて多くの参拝者で賑わっています。神社の前には「八軒屋浜から7.1キロ」の碑が立っています。
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 阿倍王子神社の近くに阿倍晴明神社があります。平安時代の陰陽家として有名な阿倍晴明の誕生の地とされ、「葛の葉稲荷の話」(次々回に紹介します)や花山法王が熊野詣でをした時に護衛をした等、数多くの伝説が伝わっています。
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 更に南下してして阪堺線の通りへ出たところに「月見が丘の碑」が建っています。電車通りから西は急な坂で下っていますが、昔は大阪湾(当時は茅渟の海と言われていました)で、この地から月見をしたそうです。熊野街道は海岸沿いに通っていたと思われます。
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 さらに南下して行くと住吉大社の傍に池田屋さんという老舗の味噌屋さんが有り、明治天皇に献上された住之江味噌は名物となっています。一日の販売量が決まっていて早く行かないと買えません。この家の屋根には珍しい灯籠が載っています。
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 住吉大社は、摂津の国の一の宮であり、神功皇后が新羅遠征から無事帰還出来たことを感謝して奉られたと言われています。本殿が西を向いているのは海上を守る神の役目をつかさどっていました。、又住吉大社には「御神田」があり、毎年6月14日に「御田植神事」が行なわれ、国の重要無形文化財に指定されています。
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 そこから南下して大和川堤防に出ると「白竜大神雲上地蔵尊」が奉られています。説明版によると明治2年に大洪水が起こり大きな被害を出したため、当時、周辺の寺院の墓石等を投じて堤防を作り今日に至っていますが、河川の改修時に見つかった川底に埋没していた無縁の仏像を弔うために碑石を建立した、と記してあります。
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 大和川を渡り堺市内に入ると境王子跡碑が立っています。この碑は熊野から寄進された石で作られています。
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 次回は方違神社からです。

(吉田 圭治)

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by srwpc | 2012-05-23 09:16 | 吉田 圭治